吉田の歴史 History

大乗寺・伊達家墓所
玉鳳山大乗寺は吉田郷第一の名刹であり、一大禅道場を持ち、藩主伊達家の菩提寺です。吉田藩主伊達宗純公他歴代、宇和島藩初代秀宗公の供養碑、4名の殉死者の墓があります。その他立派な水引地蔵があり、又蜜柑産地の守り神として「果祖田間守公御廟所」があります。秋紅葉の紅葉が美しいです。[立間]
![]() 伊達兵部一族の墓(大乗寺境内) |
![]() 大乗寺庭園 |
![]() 国安の郷 |
![]() 高月家内部 |
![]() 大楽寺 |
![]() 大楽寺庭園 |
![]() 長福寺八十八体仏 |
![]() 八烈士供養碑 |
![]() 吉田陣屋跡 |
![]() 時観堂址 |
![]() 安藤継明神社 |
![]() 安藤廟 |
![]() 簡野道明記念図書館 |
![]() 清家吉次郎銅像 |
吉田のみかん -先人の努力-
![]() 果祖田道間守御廟所 |
![]() 田道間守公の観音像 |
村松春太郎先生像
垂仁天皇(約1800年前)は田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わし10年の歳月をかけ非時香果(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰らせた(古事記)。これが『柑橘』です。昭和23年、宇和青果初代組合長薬師寺松実氏等により垂仁天皇御陵に祭られている果祖田道間守公が分霊され、大乗寺に御廟所を建立、橘観音堂として毎年「みかん祭り」を行い、感謝・豊作を祈願している。[大乗寺境内]
碑文に「大正四年 齢二十有余にして宇和柑橘同業組合に技師として迎えられ後に愛媛県立果樹試験場南予分場の創設さるヽや 其の初代場長に任ぜられ栽植肥培の要諦を教え 組合育成の緊要を説き 或は品種の改良を図り多くの生徒を薫陶し辛苦精励して柑橘の発展に尽瘁すること実に三十年 遂に愛媛をして今日の柑橘王国たらしめたり」 [みかん研究所内]
松尾武美先生像
碑文に「その生涯を柑橘産業の育成復興に捧ぐ。南予果樹研究同志会をはじめ愛媛県及び全国果樹研究同志会を創立し夫々会長を歴任すると共に昭和二十一年衆望を担って宇和青果組合長に就任し生産販売体制の確立と組織の強化に尽瘁すること実に二十二年。この間農政面に於いても県議となり地方自治発展に敏腕を振るわれしこと連続五期。その功績大なり。」[選果場内]遺訓
「理想の白い雲を見つめながら決意を新たにして次の坂を登らねばならない。その道がいかに険しくとも」
吉井 勇
ほのぼのと立間蜜柑の皮剥けば 夢も遙けくなりにけるかも















